将来のゆめ
「将来、何したいの」
二十五になっても、まだ、この質問をよくされる。
入社三年目の面談で、部長に。取引先との飲み会で、だいぶ赤い顔をした課長に。久しぶりに会った大学の友達にまで、ハイボールのジョッキ越しに。
私は、そのたびに困る。
毎日、目の前のことで手いっぱい。来週の資料と、明日の会議と、今日の三時までに返さなきゃいけないメール。それを片っ端から片づけていたら、いつのまにか三年経っていた。将来のことなんて、考える隙間がどこにもなかった。
小さいころは、もっと簡単だった。
ケーキ屋さん。お花屋さん。プリキュア。
幼稚園の卒園アルバムには、たしか、プリキュアと書いてある。母に聞いたら、どのプリキュアかまでちゃんと決めていたらしい。迷いなんて、ひとつもなかった。
それなのに、今はまるで何もない。
だから、決まった答えを持ってる。
「定年したら、田舎でおにぎり屋さんするんです」
笑いながら言うと、だいたいみんなも笑う。いいねえ、とか、渋いね、とか。それで話は終わる。
嘘ではない。小さな店で、カウンターに大きな釜を置いて、朝だけ開けて、昼には閉める。具は、しゃけと梅と昆布とか。本当に、そうしたいと思っている。
でも、部長が聞きたかったのは、そういうことではない。五年後にどんな仕事をしていたいか、とか、どこを目指しているのか、とか。
それを知っていて、私はおにぎりの話をする。笑ってもらえば、その先を聞かれずにすむから。
私が見つけた逃げである。
*
日曜日、姉の家に行った。
五歳になった姪の莉子は、会うたびに背が伸びている。今日はリビングの床にクレヨンを広げて、画用紙いっぱいに、ピンクのドレスの女の子を描いていた。
「それ、だれ」
「りこ。おおきくなったら、プリキュアになるの」
迷いのない声だった。
私は「へえ、いいねえ」と言いながら、その横にしゃがんだ。莉子の描くプリキュアは、髪が地面につくほど長くて、手にはなぜかフライパンを持っている。
「おねえちゃんは?」
「ん?」
「おねえちゃんは、おおきくなったら、なにになるの」
もう大きいんだけどね、と言いかけた。けど、莉子の目があまりにまっすぐで、いつもの、笑いながらの言い方が、喉の手前でつかえた。
「……おにぎり屋さん」
笑わずに言ったのは、はじめてだった。
莉子は、クレヨンを持ったまま、ぱっと顔を上げた。
「いいね!」
それだけだった。渋いね、も、なんで、も、なかった。莉子はすぐに画用紙に向き直ると、プリキュアの隣に、三角の白いものをいくつも描きはじめた。
「これ、おねえちゃんのおみせ。りこ、しゃけね。しゃけ、ひとつ」
「……はい。しゃけ、ひとつ」
注文を受けたのも、はじめてだった。
帰りぎわ、莉子はその絵を、くるくる丸めて私に持たせてくれた。
*
日曜日の夜、自分の部屋で、明日の準備をする。
鞄の中身を確かめて、社用のスマートフォンを充電器に挿して、通知を見ないように伏せる。月曜日の朝いちばんの会議の資料は、金曜日のうちに作ってある。抜かりはない。目の前のことだけは、いつもちゃんとやっている。
炊飯器が、ぴー、と鳴った。
明日の昼のぶんのおにぎりを握る。手を水で濡らして、塩をひとつまみ、手のひらに広げる。炊きたてのご飯は熱くて、指の腹がじんとする。
しゃけと、梅と、昆布。
三つ並べて、ラップで包む。形は、どれも少しずついびつ。定年まで、あと三十五年ある。それまでに、もうちょっとまるくなればいい。
冷蔵庫に貼った莉子の絵の、三角のおにぎりがひとつだけ、ほかより大きい。しゃけ、と、ひらがなで書いてある。
釜に残ったごはんを口に運ぶ。なんだかいつもよりしょっぱく感じた。
(了)
初出 note 二〇二六年十月二十五日