「まさかあの子が」
きっと、このブログを作っているのが「私」であることに気づける人はいません。
まさかブログを作るほど、選書サービスを始めるほど、休日には開店から閉店まで書店を巡るような本好きだなんて、誰も知る由がないから。
私にとって「好き」という感情は決して簡単に表に出すことができないもの。それが好きであればあるほどに。
この21年で、好きだと伝えたから好きでいられなくなったことも、好きだと伝えても伝わらないこともありました。
「好き」という感情は、簡単に崩れてしまう脆く儚い感情だからこそ、あなたの「好き」に寄り添いたい。私の「好き」も、あなたにちょっと、知ってほしい。
私にとってこのブログは私の好きと、すこしの願いが詰まったもの。
ここは私の拠点であり、水月です。
「水月舎」で視る私
私自身の紹介をする前に、まずはこの水月舎について。
水月舎とは
水月舎とは、本とあなたを繋ぐマッチングコンテンツです。
なんていうとたいそれたものに聞こえますが、ただ、本好きの私が「この本よかったよ!」をあなたに届けるための読書ブログです。
文学を学んだわけでも、文章のプロでも、ライターでもない。
ただの本好きの、等身大の感想を書いています。
このブログやSNSがきっかけで「読んでみようかな」「買ってみようかな」と、あなたの暮らしに本を置いてもらえたら、本望です。
名前の由来
今の自分にとって「いい本」を読んだときの、あの、感じ取ることはできても言葉にできない奥深い情緒。
想像することはできても、それを実物として手に取ることはできない文字の中の世界。
初めて「鏡花水月」という四字熟語を知った小学校六年生のとき、それが表すものは「読書」だと思いました。
今、ここで読書ブログを、選書をはじめると決めたのは、今までの私が本が暮らしにあったことで救われたから。
すべてが本で解決するわけでは決してないけれど、今のあなたに届ける一冊が、いつかのあなたのためになれば嬉しくて。
暮らしに本があることで、満たされる人がほんのすこし増えると嬉しくて。
水面に鏡のように映る花や月を見て、手に取ることはできなくても綺麗だと、感嘆が漏れる心のように、本もまた、あなたにとってそういうものであってほしい。
〜
そんな想いと、もうひとつ。
「水月」は人体ではみぞおちのことを指していて、人間の急所。
ここは、私の拠点であり、好きが詰まった私の急所だから。
どうして「好き」が急所になるのかは、冒頭を見ていただければ。
表のテーマと裏のテーマ。
私にとってそれぞれがしっくりきて、名前は「水月舎」に決まりました。
「MBTI」で視る私
あなたってどんな人?と尋ねられても、ひとことで紹介するのはかなり難しいので、とある診断テストをもとに書いてみます。
MBTIとは
MBTI(マイヤーズ=ブリックス・タイプ診断)という性格診断をご存知でしょうか?
これは人々の性格を16タイプに分類するもので、個人の認識、決定の理由、ある事象への処理方法などをもとに診断されます。
なんか難しそうに聞こえますが、無料でできる心理テストの超豪華版(めっちゃ当たる)くらいです。
ここから10分くらいでできるので、よかったらぜひ。
純度100%の内向型
私はこの16タイプのうち、「INFJ-T(提唱者)」と呼ばれるものです。
時間をあけて診断すると変わることもあるそうですが、私は初めて診断をした中学生の頃から変わっていません。
ちなみに、私を構成する要素はこんな感じ。
見ての通り極度の内向型。
興味関心が自分の内側に向くことが多いからこそ、自分の感情をこうして文字に起こしたいと思うのでしょうか。
決して他人に興味がないわけではないのですが…。
ただ「ごく少数の大切な人」と「その他大勢」の境目はハッキリしているし、その「大切な人」たちのことはジブンゴトとして内側に持っていきがちなので、やっぱり内向的なのかな。
あと、自分以外の人のことを私が変えられるとは思わないし、「自分が変われば済むことか」と思うのも内向的なのでしょうか。
あくまでも統計であって
ちなみに、気質が68%感情型で、論理的思考側の人間ではないのですが。
高校の頃は英語ディベート部で部長をしたり全国大会でちょっと誇れる賞をいただいたりしていました。
あと、建設的で論理的なあれそれがうんたらと言われる小論文も割と得意で、全国模試の偏差値88だったり。
なので「この診断で〇〇だから」と可能性を狭める必要はないと、個人的に思っています。
「なにかを諦める理由探し」ではなくて、「なにかを始めるきっかけ」としてたくさんの人に使われてほしいなと思う、私のとても好きなツールのひとつです。
「基礎情報」で視る私
ふつう順番逆だろうって思うのですが、いえいえ、私の基礎情報なんてあってないようなものなので。
基礎情報|目録
name|おさよって呼ばれたい
birth|2003年、夏
base|湖のほとりに生息
work|まちづくりとか広報とか。趣味で文筆とか。
likes|三度の飯より本が好き。健康よりも文化的な最低限を欲します。
私による、私のための、私の紹介文。
name
ひらがなで「さよ」と言います。漢字表記にするなら「小夜」で、英語表記ならシンプルに「sayo」になるかな。
「おさよ」と呼ばれたくて自分で自分につけた呼び名です。本名はまったく違うところにありますが、そっちも好きです。
birth
『誕生日いつ?』
「いつやと思う?」
というありきたりな質問返しをすると、98%くらいの確率で「冬」と言われる夏生まれです。どうも夏っぽくないらしい。ちなみにパーソナルカラーはブルベ夏。勝手に「夏」に縁を感じています。
あえて特筆することもないのですが、2024年の1月に二十歳の集い(数年前の成人式)を迎えました。
この振袖は母のもので、この振袖に袖を通すことを心の支えに20年間生きてきました。過言ではなく、この振袖があったから、私の頭に死がチラついたその瞬間を超えて、今の私があります。
ああ、次の生きる糧を探さなきゃ。
base
山奥で生まれ湖畔で育ち、何度か引っ越したりしたものの、今も湖のほとりに暮らしています。
海でも川でもなく、湖が好き。
街でも町でもなく、まちが好き。
深山でも人里でもなく、里山が好き。
そんな私の理想がつまった地域で、ただ余白を余白として過ごすのが、月に1度のマイルーティーン。自然でも人工でもない、その道を歩き、土に触れ、郷土を知る。ただそれだけの日。
work
進学校に通いながらも進学をせず高校卒業後に働きはじめた私は、この春、社会人3年目を迎えました。
人様にお見せできないほどぐちゃぐちゃになった履歴書ですが、1本だけ筋があって。紆余曲折、立場がコロコロ変わりながらも3年間変わらず「まちづくり」や「地域」に関わるあれこれを、広報の視点を中心に担っています。
広報といってもいろいろありますが、「戦略設計 / ブレインの部分」や「伝える」の立場にいることが多いかな。趣味の範囲で、ちょっとした文筆業をしていたり。
likes
趣味を尋ねられるといつも困ってしまって「実はこれというものがなくて、ちょうど探しているところなんです」「〇〇さん、なにかおすすめないですか?」と話をすり替えるという、テンプレ化された流れを持つ私。
ひとつだけあるんですよね、実は。「好き」っていう感情はすごくプライベートなもので、脆くて儚いものだから、大っぴらに言わないだけ。
本を読むこと、本を読む時間がとても好きです。よく、とても好きなことの比喩表現として「三度の飯より〇〇が好き」ってフレーズを聞くじゃないですか。たとえではなく、本当に「三度の飯より本が好き」な人間です。
学生の頃はお昼休みはごはんも食べずにまるっと図書館に入り浸り、塾で食べる夕食も、片手で食べられるスティックパンばかり。社会人になってからも、相変わらずお昼休みは本を読み、ごはんも片手で食べられるものばかり。健康の「け」の字もない食生活。
時間に限らず、お金も例外ではありません。自炊生活とかけ離れた生活ではあるものの、あまり外食はしない私。自分が生きるための食にかけるお金があるのなら、本を買いたい。そんな、どうしようもなく、健康でいるつもりのない人間です。
有名な日本国憲法の一項に、こんな文言があります。
日本国憲法第二十五条
1. すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
昭和二十一年憲法 日本国憲法
これは国に保障された日本国民の生存権を指すものですが、この文言をすこし拝借すると、私はおそらく「健康」『かつ』「文化的」というのは望んでいなくて「健康」『よりも』「文化的」な最低限度を欲しているのだな、と思うのです。
もちろん、今の私がそれを望めるのは、最低限の健康というものを持っているからだろうとは思うので、これからはちゃんと考えたいなと思いつつ。まだもう少し、肩まで本に浸かる日々を過ごしていたいような気もします。
おわりに
書くことないけど…と思いながら書き始めたこの自己紹介も、気づけば3000文字。こんなに言葉をつかって自分自身を見つめるなんて、いつぶりでしょう。
ゆるくても、ほそくても、ここがずっと永く続くものになりますように。そんな祈りを込めて、今日もひとつひとつていねいに、糸目を編むように言葉を紡ぎます。
ここまで読んでくださったあなたの今日が、ステキな1日になりますように。