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二十匁 短篇 水 1-2

二十匁

月曜の午後三時すぎに、その人は来る、と思う。

決まっているわけではないらしかった。ただ、私が覚えている限り、三時を十分ほど過ぎたころに、精肉売り場のガラスの向こうで、灰色のハンチングが揺れる。

「豚のこま、二十匁」

最初に言われたとき、私はわからなかった。

もんめ、と聞き返すと、その人は少しだけ眉を寄せて、それから何も言わずに指を二本立てた。二百グラムのことかと思って量ったら、多い、と言われた。

バックヤードに戻って、パートの石原さんに訊いた。一匁は三・七五グラムやで、と彼女はスマートフォンも見ずに答えた。うちのおばあちゃんもそうやったわ、と。

二十匁は、七十五グラム。

*

秤の上に、薄いフィルムを敷く。トングで肉をつまんで、のせる。

七十八。三グラム多い。

私はいつも、その三グラムをトングで戻した。端の、脂の多いところを、ほんの少し。

七十五、と表示されてから、袋に入れ、シールを貼る。

その人は小銭をちょうどで払って、帰っていく。

ひとりぶんの豚汁か、炒め物か。私にはわからない。

わからないけれど、七十五グラムという重さが、ひとりで暮らす人の一回分として、ちょうどなのか少ないのか、それくらいは考えたことがある。

*

尺貫法は、昭和の半ばに、取引で使うことを禁じられたらしかった。

仕事帰りに図書館で読んだ本に、そう書いてあった。それでも人の口はすぐには変わらなくて、八百屋や肉屋では長いあいだ、匁で頼まれて、グラムで量って、黙って換算していたのだという。

匁をグラムに直すと、たいてい端数が出る。三十匁なら、百十二・五グラム。

客の目の前にあるのは、グラムの目盛りだけ。頭の中で匁に戻せる人は、そう多くない。

だから、その半端を、店のほうへ切り捨てる人もいた。ほんの一、二グラム。誰にも気づかれない。

その本には、ある肉屋の主人の話が載っていた。

彼は、いつも客のほうへ切り上げていたらしかった。

わからんように少なくするのは簡単やけど、わからんように多くするのも、同じくらい簡単やから、と。

私は、そのページを閉じたあと、しばらく自分の手を見ていた。

*

三グラムを戻すのは、正しいことだと思う。

頭では、そう理解はしているのだ。店の決まりがあって、在庫の数字があって、七十五と頼まれたら七十五を渡す。少なくもしていない。ごまかしてもいない。それ以上でも以下でもないことが、誠実さの形をしている。

でも、私はたぶん、それとは別の理由で戻していた。

多く入れて、気づかれないのが、こわかった。

気づかれて、お礼を言われるのが、もっとこわかった。

人に何かを渡すとき、私はいつも、量っている。

誕生日のメッセージの長さ。既読から返信までの時間。会いたい、と言いかけて、会えたらいいね、に削る。

母に電話をかけるのは、月に二回まで、と決めている。誰に言われたわけでもない。三回かけたら、何かあったのかと思われる。それが、なんとなく、いやだった。

ちょうどの量を渡していれば、多すぎることも、足りないことも、責められない。

そうやって、端の脂を戻すように、自分の何かを少しずつ戻してきた。

切り捨てる人と、切り上げる人のあいだで、私は、どちらでもない場所に立っているつもりでいた。

けれど、戻したぶんは、どこへ行ったのだろう、と思う。

バットの中の肉は、明日には別の誰かのパックに入る。私が戻したものは、たぶん、どこにも入らない。

*

翌週の月曜、三時を十分過ぎて、ハンチングが揺れた。

「豚のこま、二十匁」

はい、と言って、フィルムを敷く。トングで肉をつまむ。

七十九。

四グラム多い。

私はトングを持ったまま、少しだけ迷った。

迷っているあいだも、表示は七十九のまま、静かにそこにあった。

そのまま袋に入れた。シールを貼った。

その人はいつもどおり小銭をちょうどで払って、いつもどおり何も言わずに帰っていった。

気づいたのかどうかは、わからない。たぶん、気づいていないと思う。四グラムは、豚こまの、ひとかけらにもならないから。

お礼を言われなかったことに、私は、少しだけ安心していた。

安心している自分を、少しだけ、ずるいとも思った。

*

仕事が終わって、自転車置き場で、母にLINEを送った。

今月はもう、二回電話をしていた。だから電話はかけなかった。かわりに、さむくなったね、とだけ打った。

既読はすぐについた。

四グラムぶんくらいの言葉だったと思う。ちょうどだと言い張るには、少しだけ多い。

ペダルを踏んでも、秋の夜の空気は、指先に残る脂の匂いを、なかなか連れていかなかった。

(了)

初出 note 二〇二六年十月五日