秋風鈴
風鈴を、私は、まだ外せずにいる。
十月に入って、夜の風が変わった。袖の隙間から風が腕に触れたとき、ひやりとするのではなく、すこし乾いている。指先でなぞった紙の、端のような感触。
ベランダの物干し竿の端に、ガラスの風鈴がひとつ下がっている。
赤い金魚が二匹描かれていて、一匹はもう片方より尾が長い。
七月の終わりに、彼が提げていった。
提げていった、というのは正確ではないかもしれない。提げて、それから、彼の方がいなくなった。
*
夏のあいだ、風鈴はよく鳴った。
室外機の熱い風でも鳴ったし、隣の部屋の人が窓を開けるだけでも鳴った。うるさいと思ったことは、一度もなかった。
彼がいた頃は、彼がうるさいと言った。
いなくなってから、私は、鳴るたびに顔を上げるようになった。
九月の半ばに、短冊の色が抜けていることに気づいた。
買ったときは藍色だった。紺に近い、深い色。それが日に焼けて、いまは水で薄めたような、白に近い青になっている。
風に煽られて、ひらりと裏返る。裏はもとから白い。表と裏の区別が、もうほとんどつかない。
*
秋の風を、人は、「色なき風」と呼ぶらしかった。
昔の中国の考え方では、季節にそれぞれ色が当てられていて、秋は白なのだという。そこから、色のない、透きとおった風、という言い方が生まれたらしい。
歳時記のページをめくっていて、近くに「秋風鈴」という季語を見つけた。
夏が過ぎても、しまい忘れて軒に吊るされたままの風鈴のこと。
しまい忘れた、と書いてある。
私は別に、忘れたつもりではなかった。ただ、しまえなかっただけだった。
けど、忘れたことにしておいた方が、ずっと楽かもしれない、とも思った。
並んでいた句は、どれも、さびしいとは言っていなかった。音が細くなったとか、誰も聞いていないとか、そういうことばかりを言っていた。
さびしさを、音の細さで言う。
そういう人たちが昔からいたのだと思うと、肩のあたりが、すこしだけ軽くなった。
*
外さなければ、と頭では理解はしているのだ。
季節のものは季節のうちに片づける。それくらいのことは、誰に教わるまでもなく知っている。
台風が来れば割れるかもしれないし、夜中に鳴れば、隣の人が迷惑するかもしれない。
それでも、今夜も外さなかった。
窓を開けると、色のない風が入ってきて、カーテンの裾を持ち上げる。少し遅れて、風鈴が鳴る。
夏よりも、音が高い気がする。高くて、短い。ガラスの縁が冷えているからかもしれないし、私の耳が、夏ほどその音を待ち侘びていないからかもしれない。
別に彼のために吊るしているのではない。
それは、たぶん本当。
帰ってきてほしいと思っているわけでもない。
それも、たぶん本当だ。
ただ、私は、片づける側ではなく、片づけ忘れられる側である。そんな自分は、誰かに外してもらうのを待っている。そういう自分のいやらしさを、私はよく知っている。
もう一晩だけ、と思った。
そう思うのが何度目なのかは、もはやどうだってよかった。
風が、また風鈴を鳴らす。
藍色だった短冊が白い裏を見せて、それから、どちらがどちらなのか分からなくなった。
(了)
初出 note 二〇二六年十月六日