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挿し木 短篇 水 1-4

挿し木

八時十二分、電車を降りた。

階段を降りるとき、右手で手すりをつかんだ。鉄はまだ夜の冷たさを残していて、それが指の腹から手首のほうへ、ゆっくり上がってきた。

三段目くらいを降りたとき、甘い匂いがした。

今年、はじめての金木犀。

立ち止まりはしなかった。後ろから来る人の靴音が、背中を押していたから。

ただ、吸う息の量だけが、少し増えた。熟れた果物とも、粉砂糖とも違う、あの重たい甘さが、鼻の奥に溜まる。

木は、どこにも見えなかった。隣のガラスから見える外にも、階段の下にも、それらしい橙色はない。

匂いだけが先に来る。毎年、まあ、だいたいそうである。

*

金木犀に、私は、いつも気づくのが遅い。

去年までは、隣を歩く人が先だった。

駅から家までの坂の途中で必ず足を止めて、首を少しだけ傾けた。どこやろ、と言いながら、探しもしない。

その横顔を見て、ああ秋なのだと知っていた。

今年は、誰も言ってくれなかった。

だから、自分で気づいた。

それだけのことだった。

*

日本にある金木犀は、ほとんどが雄の木らしい。

中国から渡ってきたとき、雄株ばかりだったという。

だから実をつけない。種で増えることができず、人の手で枝を切られ、土に挿され、根を出して、また植えられてきた。

どの街の金木犀も、もとをたどれば、わずかな木に行き着くのかもしれない。

そういう話を、いつか何かで読んだ。

去年の坂道の金木犀と、今朝の階段の金木犀は、たぶん同じ匂いをしている。

私の鼻が、区別できないだけかもしれない。

区別したくないだけかもしれない。

*

私は、思い出を挿し木のように扱う人間である。

都合のいいところだけ枝を切って、別の場所に挿して、根づいたふりをさせる。

都合の悪い枝まで、地面から生えてきたような顔をさせて、また挿し直している。

いやらしいと思う。

けど、別に、どうしようもなかった。

実をつけないものを、私は、ずっと増やしている。

知っていて、やめないのだ。

(了)

初出 note 二〇二六年十月七日