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熊の支度 短篇 水 1-13

熊の支度

土曜の午前、実家から段ボールが届いた。

ガムテープを剥がすと、新聞紙の中から栗が転がり出た。ざっと見て、一キロはある。底のほうには、さつまいもが四本と、ビニール袋に入った新米が二キロ。隙間に挟まった広告の裏に、母の字で「栗むくの大変やったら、茹でて半分に切ってスプーンで食べ」とだけ書いてあった。

送らなくていい、と、私は、毎年言いそびれている。

ひとりで一キロの栗は多い。けれど、要らないと言うほどのことでもない。断る理由を探しているうちに十月が来て、箱が来る。断れないのではなかった。ただ、断る言葉を見つけられなかっただけだった。

栗ご飯にすることにした。茹でてスプーンで、なんて、母の言うとおりにするのも癪だった。

ボウルにぬるま湯を張って、栗を沈める。一時間ほど浸けておくと鬼皮がやわらかくなる、と、これも去年の箱に入っていたメモで知った。待つあいだに、さつまいもを一本、アルミホイルに包んでトースターに入れた。昼ごはんのつもりだった。

焼けたいもを割ると、湯気が顔にかかって、眼鏡が曇った。黄色い断面に、蜜がにじんでいる。熱いのを指先でつまんで、皮ごと齧った。甘い。それ以上の感想は、別に要らなかった。

食べ終えて、床に座ったまま栗の鬼皮に包丁を入れはじめた。

尻のほうに刃を当てて、てこのように起こす。一つ目で要領を思い出し、三つ目で親指の腹が痛くなった。渋皮は薄く削ぐ。削ぎすぎると、実が痩せる。

窓から入る陽が、フローリングに四角く伸びている。九月まではあれほど鬱陶しかった光が、今は膝のあたりでおとなしく温い。十個むいたところで、私は、あくびをした。十五個目で、まぶたが重くなった。

食べたら眠くなる。そんなことは子どもでも知っている。けれど十月の眠気は、夏のそれとは質が違う。夏の昼寝は暑さに負けて落ちるものだが、十月の眠気は、向こうから布団を敷きにくる。

熊は、いまごろ山で木の実を食べている。食べて、肥えて、穴にこもって眠る。あれは冬を越すための支度であって、欲ではない。

私は、違う。冬を越すのに、いもも栗も要らない。暖房があり、コンビニがある。それでも食べたいし、眠りたい。どちらか一方で足りるはずなのに、どちらも欲しい。

私は、欲張りな人間である。

それを季節のせいにしているのも、わかっている。けど、秋が、それを許すような顔をしているのだから仕方ない。

包丁を置いた。むいた栗はボウルの水に沈め、むいていない栗は、皮のままざるに残した。半分にも届いていない。

ソファまで行くのも面倒で、陽の当たる床にそのまま横になった。クッションを一つ引き寄せて、頭の下に入れる。フローリングの冷たさがまず腰骨に来て、それから背中に広がった。陽の当たっている脇腹だけが温かい。冷たいのと温かいのを両方抱えたまま、私は、すぐに眠った。

目が覚めると、部屋は青かった。

四角い陽はとうに消えていて、窓の外で、どこかの家が夕飯の支度をする音がしていた。換気扇の回る音と、鍋に何かを落とす音。腹が、それに返事をするように鳴った。

あれだけ食べて、あれだけ寝て、まだ食べたいらしい。呆れたものだ。

残りの栗をむいた。寝起きの指は、昼より器用だった。親指はやはり痛んだが、痛いのにも慣れた。米を研いで、栗と、酒と、塩をひとつまみ入れて、炊飯器のスイッチを押す。

炊けるまでの五十分、母に電話をしようかと、一度だけ考えた。届いたよ、ありがとう、もう送らなくていいよ、と思っている間に眠ってしまったらしかった。

来年も箱が届くことを、私はたぶん待ち侘びている。

炊飯器が、短く鳴る。

蓋を開けると、湯気の向こうで、栗が黄色く光っている。しゃもじを差し入れながら、私は、もう一度あくびをする。

(了)

初出 note 二〇二六年十月十七日